30代 発達障害 崖っぷち

小学生の時から名探偵コナンが好きな30代の発達障害者。コナンの世界のように楽しみたいと思い、最近の趣味は旅行と美術館、博物館巡り。

発達障害は個性の一部分にすぎない

当たり前のことかもしれないが、発達障害はその人の一部分である。

発達障害について深く知れば自分のことが分かるわけではない。今まで、就労していく上で発達障害関連の本をたくさん読んできたが、自分の特性に当てはまるところがたくさんあった。しかし、そこから自分の人生の答えを本が提供してくれるわけではないので、自分の障害の研究をしても自分が見えてくるわけではない。

そのため、発達障害に特化した機関や企業に関わったとしても、自分の人生が変わるわけではないことが分かった。自分が大切にしている価値観は何なのか、そして出来ることは何なのかを考えることで自分が見えてくると思った。

今後、就労移行支援事業所選びをしていく予定だが、必ずしも発達障害に特化したところに行くことが正解ではないことに気付いた。もっと深く考えていくようにする。

SNSは人を幸せにするのか

最近はSNSツールが普及している。また、ビジネス向けSNSも主流になってきている。SNSのメリットは自分の今の近状報告を出来るという点であるが、一度疎遠になった人とネット上で再会して、連絡を取り合えるというところである。

しかし、最近になって思うことは、SNSは人生を豊かにするツールなのかという点である。もちろん、SNSから来るトラブルや嫉妬もあるが、過去に疎遠になった人と再会することが果たして幸せにつながるかというところである。

前に書いた「出会いと別れ」のトピックで書いたことと重複するところがあるが、SNSはなるようにしかならない人間関係を複雑にするものだと考えている。人間は長い人生の間、出会いと別れを繰り返して生きていく。もちろん、別れには寂しさをその都度感じるだろう。しかし、人間は別れを経験することによって新しい自分へと成長するところもあるし、もっといい出会いを見つけていこうと努力するものだと思う。

SNSのおかげで学生時代からの友達が長いこと続いている人も多いだろう。しかし、学生時代の人とつながっても過去話だけで花を咲かせることで終わることも多い。また、楽しかった思い出も思い出すが、それと同時に忘れたい苦い思い出も思い出すことが多い。過去にすがりつくことで、自己成長の妨げになっているところもあると思う。

自分は学生時代の友達とは今現在、ほとんど連絡を取っていないが、不幸かというと違うと思う。一昔前はSNSがなかったので、疎遠になったら人間関係が切れることが多かったと思う。しかし、それが不幸かというと違うと思う。そこまで他の人に会いたいという願望がないからでもあるが、会ったとしても自分自身が変わるわけではないからだと潜在意識的に感じているからである。人間関係は現在進行形に行けば行くほど自分にとって頼りになると思う

自分が大学時代、SNSというものが出来てハマったことがあるが、SNSが足かせになることがあった。また、自分にとって苦手な人とSNSでつながっていなかったとしても、リアルな世界でつながらないかというとそういう分けではないので、所詮SNSは架空の人間関係だと思った。

人間関係はネット上ではなく、リアルな世界でしかないと感じている。ネット上で知り合った人とほとんど長続きしないのは、リアルな関係ではないからだと思う。ネットに依存した生活はなるべく避けた方がいいかもしれない。特に自分みたいな性格の人間はそうだと思っている。

 

The Big Issue

皆さんは「ビッグイシュー」という雑誌をご存じだろうか。

ビッグイシュー」とはホームレス状態にある人や生活困窮者が経済的自立支援の為に販売している雑誌で、一冊450円の雑誌を売れば、230円を販売者の手取りになるというシステムである。元々はイギリスで発祥したもので、2003年から日本では日本版として売られるようになったらしい。よく駅前に販売者が立っていることが多いので、自分も雑誌を購入していた時期があった。英検一級の勉強につながるかもしれないと思って買ったことがあった。

しかし、ここしばらくは購入するのを辞めてしまった。理由としては、雑誌の内容的に切り口は面白いが、新聞などと比べて、必ずしも自分の生活に直結するトピックではないと思ったからである。新聞や週刊誌の方が安くて読みやすいと思って、購入しなくなってしまった。また、英検一級の勉強を断念したところがあったからである。

けれども、最近思うのは報道などで言われていることよりも、ビッグイシューで言われていることの方が生産的だと思った。新聞は起こった出来事に対して論じるだけだが、ビックイシューは「社会的な出来事に対してどう社会が変わっていくか」を違う切り口で紹介していく素晴らしさがあると思った。英検の勉強に関係なく読んでいくことがいいかもしれないと感じてきた。

今後も出来る限りビッグイシューを購入していきたいと思っている。これを読んでいる読者の方も興味を持ってくれたら幸いである。

 

 

朝の活用方法

運命的な出会いや重要な決断は「朝」に限ると思う。

朝は脳がクリアな状態であり、生産的な考え方が出来るからである。

逆に、夜の出会いや決断は非現実的なことが多い。夜は一日の脳の疲れが出てくるため、現実逃避したくなる時間帯だからである。夜の商売が儲かったり、物を衝動買いしたくなるのも、現実逃避の考えからくる欲望のままに動いてしまうからかもしれない。夜に出会った人達とも長続きしないのも、上記のことが原因である。

その中で色々な決断をしても、現実につながることはほとんどない。そのため、重要なアポイントメントや決断は朝にした方がいいと思った。朝に決断したことはほとんどの場合間違っていない。

大学時代のバイトで注意されたこと

大学時代、ラーメン屋やファーストフード店でバイトをしていた。

特に、ラーメン屋は高校生の時からやりたかったバイトだったので、大学に入学してからすぐに応募した。威勢のいい掛け声とテキパキとしている仕事姿に憧れを抱いたからである。

しかし、思っていたよりもラーメン屋はきつかった。臨機応変な対応、スピード勝負の世界だった。アスペルガーの人は接客業に向いていないというが、本当だと思った。特に皿洗いで人一倍時間がかかったので、向いていない仕事だった。

スピードでも周りから注意を受けたが、もっと肝心なことが出来ていなかったのは、「仕事を覚えられない」ということである。頭で覚えることが苦手なので、ノートでメモをしていた。しかし、それでも覚えられなかったり、言われたことから応用することが難しかったので、何度も同じ質問をしていた。何度も同じ質問をするのは、プライベートでも学生時代から友達にやっていたので、友達から「本当にやめた方がいいぞ」と注意されたくらいである。バイトでも同じことをやっていたので、「何度も同じことを聞くのは、どんなに優しい人でも怒ります。」と叱責を受けた。

後々、社会人になって作業が中々覚えられない原因は、「物事のつながりが見えない」という特性から来ていることが分かった。しかし、その時は「ただ物覚えが人一倍悪い」という認識しかなかったので、同じようなミスや質問を繰り返していた。

また、他の人が少し考えれば判断つくことも分らないので、他の社員の方に同じようなことを聞いていた。その都度、相手は作業を止めなければいけないので、周りに迷惑をかけていた。

バイトの経験から自分は健常者と同じように働くのは難しいことが分かったので、支援センターに足を運ぶことになり、障害者雇用で就活を始めることにした。

 

中国

大学に入学する前、祖父と中国のツアーに参加した。

中国で回ったところは、北京、西安、上海である。中国は日本よりも国土が何倍も広いので場所によって文化や言語が違う。あらゆる民族から成り立っている国なので、中国だけで「一つの世界」だと言っても過言ではないと思う。あらゆるものを統一した国が中国なのだろう。

北京では万里の長城を観光した。何年もかけて作り上げたレンガの道は壮大である。また、北京は街並みも中国独特の作りをしているので、また機会があったら観光したいと思っている。西安は歴史的建造物が何個も残っており、名物の蒸し餃子が美味しかった。日本でポピュラーな焼き餃子とは違った美味しさがあった。中国では水餃子や虫餃子が主流らしい。焼き餃子は餃子の残りで作るらしい。上海は最先端の町なので、日本の新宿に街並みが似ていた。上海の言語は北京と違うらしいので、同じ中国人同士でもコミュニケーションが困難だという。日本の方言よりも違いがあるのが面白かった。

日本の文化は中国から来ているので、中国から学ぶことは多いと思う。機会があったら、中国の歴史を勉強していこうと思った。

ストラテラ

前職で就労している間、服薬を何個か試してみた。

今まで試した薬はストラテラコンサータ、インチュニブなどのADHD系の薬である。しかし、あまり劇的な効果がなかったのと、副作用が強かったので断薬をした。

強いていえば、ストラテラが効果あった。ストラテラは自分で自分のことを自覚する手助けになった。自分を俯瞰するようになれたのと、違う視点で物事を考えられるようになった。また、過去の嫌なことや複数の記憶が頭の中でフラッシュバックされなくなったので、独り言や一人笑いの回数が減った。

また、自分は相手のことを考えられないので、世界が自分中心で動いている感覚になってしまうことがある。服薬する前はそういう自分に気付かなかったが、自分を客観視することで気付けたので、自己認識の手助けになった。

以前、お世話になっていた就労移行支援事業所のスタッフに言ったところ、「そういえば、そうでしたね。」というリアクションだった。「そういえば、そうでしたね。=あなたのことちゃんと見ていませんでした。」という意味なのだと思うが、自分を知れるきっかけになったので、良かったと思っている。

服薬は1割くらい効果があるが、自分に対しての人生の答えを出してくれるものではないので、薬に過信しすぎるのはよくないと思う。しかし、人によって答えが違うので、一回は試してみるのもありかもしれない。