30代 発達障害 崖っぷち

小学生の時から名探偵コナンが好きな30代の発達障害者。コナンの世界のように楽しみたいと思い、最近の趣味は旅行と美術館、博物館巡り。

ナポリタン

自分はナポリタンが好きである。

小さい頃は好きではなかった。お弁当などに入っているナポリタンは単調なケチャップの味しかしなかったので、美味しさを感じられなかった。

しかし、大学時代にとあるバーの鉄板ナポリタンを食べた時に衝撃を受けた。ケチャップの他にも奥深い味わいがして、どのパスタよりも印象に残った。それ以来、ナポリタンが無償に食べたくなる時がある。気分によっては週2で食べたこともあるくらいである。今では思い出の味である。死ぬ前に食べてたくなる料理はもしかしたらナポリタンかもしれない。

最近は「スパゲッティのパンチョ」というお店に足を運ぶことがある。ナポリタンのチェーン店でトッピングも豊富で自分好みのナポリタンをオーダーできるお店である。自分は焦げ目が付くくらいの食感が好きなので、「焼き増し」でオーダーした。案の定、自分好みの味になった。今後も出来る限り足を運びたいと思っている。

昔嫌いだったものが今は好物になっているというのはよくある話だと思う。しかし、何事も食わず嫌いで済ますのはもったいないことである。人間関係も同じで第一印象が悪いもの同士が親友になったりすることもある。自分の中の視野を広げるには、苦手だと思っていたことに挑戦することかもしれない。そして苦手だと思っていることにこそチャンスややりがいがあるのだと思う。

 

以下、参考文献。

 

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京都

2年前、一人旅で京都に行った。

京都に一人旅をするのが目標だったため、念願の一人旅に成功をした。

京都ではまず、竹のお箸を作った。ナイフで地道に先端を先細りにして削っていく作業なのだが、バランスを整えて削るのが難しかった。しかし、黙々と出来るので、自分にとっては楽しかった。京都は竹細工が有名で竹の家庭用品がたくさん売ってある。最近は竹細工職人が年配の方が多いので、後継者が少なくなってきていると言われている。かつて、モノづくり大国日本と言われていたのが、衰退してきていると感じた。

京都はご飯も美味しい。四条の方に行くと、おばんざいがリーズナブルな価格で食べれるのでおすすめである。肉じゃがなどを食べた時は極端かもしれないが、「日本人に生まれてよかった」と心底思えたくらい感動した。また、湯葉の専門店もあって「湯葉の天ぷら」はすごく美味しかった。

京都のお土産で有名なのはやはり「八つ橋」である。八つ橋はニッキが有名だが、最近はラムネ味やフルーツ味などの種類も増えている。色々な味を楽しむのもいいのかもしれない。

お寺などは障害者手帳を見せれば、無料で拝観できるので、手帳は必須である。京都の楽しみ方は「庭」であると国語の評論文に書いてあった。簡素な作りでも荘厳な雰囲気を感じ取れる自然を生かした庭は、どこか日本人の心をくすぐるようにできている。また、部屋の作りも西洋と違って、部屋と部屋との空間の境界線を曖昧にしているところも日本人の美意識なのだという。国語の文章を読んだ後に観光をすると、一層楽しめるところもあるのかもしれない。

京都は観光地として有名なのだが、現地の人が楽しむお店と観光客が楽しむお店で違うことが多いのかもしれない。京都の人が出している新書などを読んでから今度はコロナ明けに観光したいと思っている。特にパンは比較的安く食べれるらしいので、パン巡りをしてみたいと思っている。

座学は自分にとって役に立たない

今まで就労移行支援事業所でSSTJST、ビジネス関係の研修を受けてきたが、座学は自分にとって役に立たないことが分かった。研修で習うことは、ほとんど大枠的なところなので、実際問題役に立たないことが多い。また、実際のビジネスでのコミュニケーションは複雑で、お手本通りのことをやっても不正解になることが多い。結果的に、応用性が利かないことがある。就労移行支援事業所側も「細かい部分は就労していく中で直していってください。」というのが本音だと思う。細かい悩みまで付き合ってられないのが現実だからである。

スポーツと同じで、練習などで技を使えたとしても、試合で使えなかったら意味がないのと同じである。結局は、ビジネス上の問題は実戦で改善していくしかないのかもしれない。特に自分の場合は、本や研修で習うよりも、人から直接学んでいく方が効率的だと感じた。

今後、就労移行支援事業所選びを行っていくが、座学中心で運営している事業所は選ばないようにしていく。発達障害に特化した事業所でも座学中心で運営していくところがあるので、実際の職場を想定した事業所に通所したいと思っている。

ニューヨーク(NY)

大学時代、ニューヨークに一週間観光したことがある。

中学時代の旧友が住んでいたことがあり、その友達の家にお世話になった。

NYは様々な移民によって限られた時間の中で作られた街なので、歴史というものが存在しない場所だと言われている。また、世界の中心都市と言われていて、国際的な会議もこの町で行われている。映画に出てくるニューヨークはヨーロッパのような街並みであるが、映画の世界は作られた都市だというのが分かる。

ニューヨークで有名なのはやはりピザである。イタリアのピザよりも倍近い大きさでボリューミーなものだったので、好きな自分にとっては最高の食べ物である。ピザだけでも色々なお店があるので、観光のほとんどはピザを楽しんでいた。今でも、NYスタイルのピザを食べるとあの時を思い出す。

アメリカは移民によって作られた街で多様性と自由を象徴している国である。しかし、誰にとっても住みやすい国かというとそうではない。色々な考え方の人がいるからこそ、色々な問題も起きている。本当に住みやすい人は限られた人達だけなのかもしれない。

これは何事においても同じである。誰にとっても居心地のいい環境というものはない。誰かにとって居心地のいい環境は誰かにとっては居心地の悪い環境ということである。自分の居場所は自分で見つけていかなければならないのかもしれない。

前の会社は多様性を企業理念にしていたが、多様性と聞くと素晴らしく聞こえるが、多様性から来る問題ももちろんあると思う。生きていく上で多様性は大事かもしれないが、多様性からくるデメリットも考える必要があると感じた。

 

発達障害≠発達障害に特化した環境がいい

言うまでもないが、発達障害として生まれたから発達障害に特化した環境が最適なわけではないことが分かった。

今まで2ヶ所ほど就労移行支援事業所の見学に行ったが、発達障害に特化した事業所は型に当てはめてた支援の仕方をしている傾向がある。「発達障害だからこの支援が必要」という風に、自分にとって不必要な訓練も受けさせられることがある。そのため、必ずしも自分の障害特性に合った支援が受けられるわけではないことが分かった。逆に、発達障害に特化した事業所でなくても、今の自分に合った支援をしてくれる事業所も存在することに気付いた。カレー専門店で食べるカレーよりも、居酒屋などで裏メニューで出しているカレーの方が美味しいことがあるように、発達障害を中心にしていないところの方が最適な環境だったりすることもあるのかもしれない。そのため、行動していかないと見えてこないこともある。

上記のことは事業所に限ったことではない。発達障害に特化した会社に就職をしたとしても、必ずしも自分にとっての理想の働き方ができるか保証はできないということである。自分の適性ではないところに就職すれば、毎日が地獄になるだろう。逆に、発達障害の方をあまり受け入れていない会社であっても、自分に合った働き方ができる可能性がある。世の中は単純ではないことが分かった。

今回、発達障害に特化した場所に行けば上手く行くと思っていたが、必ずしもそうではないことが分かった。以前よりも、難航しているところがある。もう少し慎重に見学をしていこうと思った。

自分の中に入ってくるものはすべて意味がある

最近気づいたことは、「自分の中に入ってくる情報や人はすべて意味がある」ということである。

例えば、自分の場合は中学受験。今もあの時の大変さを思い出したくないし、何度も受験勉強を止めようと思った。しかし、受験して合格した中高に通っていなければ、今の自分はないと思う。自分の母校はミッション系の男子校だったので、キリスト教系特有のプログラムがあって、色々なことを知る機会になった。また、男子校だったのもあるので、異性とのトラブルも避けることができた。中高無事に過ごせたのは、私立校に通ったからかもしれない。

大学では国際系の学部に通った。大学はTOEICが必修だったが、その時はTOEICに意義を見出さなかった。しかし、社会人になってTOEICの重要性を認識した結果、大学でTOEICを知れてよかったと思っている。もし、大学でTOEICの試験を知っていなかったら、今頃勉強していなかっただろう。

また、前職の外資系IT企業も知れたのは、学生時代に参加したイベントで知ったのがきっかけである。そのイベントで参加していた社会人の方がその企業に勤めていたのもあって、転職で目指すきっかけになった。もし、イベントに参加をしていなければ、入社することはなかった。

このように、自分の中に入ってくるものはすべて意味があるということである。自分の中に入ってこなくて気にならない人や物は自分にとって関係がないということなのかもしれない。確かに、自分の中に入ってくる情報や人が自分にとって望んでいるものでないことが多い。「悪縁契り深し」と言ったもので、自分にとって苦手で面倒くさい人や物事ほど結びつきが強く、ご縁があったりするものである。しかし、自分にとって苦手なものと向き合っていくことこそが自分に与えられた試練なのだと思う。先程も言った通り、自分にとって意味のないものであるならば、最初から試練は与えられないのだから。

 

UNICEF

自分は少し前からUNICEFの活動に興味を持っている。UNICEF発展途上国を支援する国際的に有名な団体である。

なぜ興味を持ったかというと、学生時代にタイやインドに行って発展途上国の現状に衝撃を受けたからである。もちろん、発展途上国と先進国では当たり前の基準は違う。

今回、UNICEFからもらった雑誌を読んだところ、一番の違いは「水の衛生問題」だと知った。アフリカのスーダンの人々は水道水のようなきれいな水を知らないという。濁った水のために子供たちは遠いところまで汲みにいって、水を売ったりして家計を保っている。現地の人は衛生面を気にしていないが、不衛生な水を飲むことが原因で、下痢や腸内寄生虫などの病気にかかりやすいと言われている。この記事を読んで、きれいな水が当たり前ではないことを知ったのと同時に、水がどれだけ人間にとって生きていく上必要かということを知った。

人間の体内のほとんどは水分で出来ていると言われている。水がないとどのようなことが起こるか想像してみると分かってくる。

①汗をかいた時に水分補給ができない。

②料理が作れない。

③体が汚れた際、シャワーを浴びることができない。

つまり、水がないと人間は生きていけないことが分かる。「水を制す者は国を制す」という言葉があるらしく、安定した水の供給が人々の暮らし、農業、経済発展にはかかせないと言われている。水に視点を持つだけで世の中が見えてくることが分かる。

今後はなるべくUNICEFには寄付活動で関わっていきたいと思う。学生時代は、発展途上国にボランティアすることで、グローバル社会に貢献することが夢だった。しかし、大学時代に海外ボランティアのサークルに所属したのだが、周りのメンバーと上手くいかなかったのと、貧困の問題も複雑だということを知って夢を捨てた部分があった。また、高校時代の先生の話から青年海外協力隊などにも興味を持ったことがあるが、今振り返ってみると、自分の能力的に難しいことが分かったので、断念したところがあった。しかし、寄付活動もボランティアの一つだと思うので、自分なりの関わり方を見つけていこうと思った。